宮滝遺跡から宮殿施設 吉野宮で確実か
5月15日(火) 19時14分

 吉野町にある国の史跡・宮滝遺跡の発掘調査で、平城宮の大極殿などと同じ特徴を持つ大型の建物跡が見つかりました。宮滝遺跡には飛鳥時代から奈良時代にかけて天皇が行幸した宮があったとされてきましたが、今回の発見でそれがほぼ確実になりました。

 宮滝遺跡では、これまでに縄文時代から平安時代までの様々な時代の遺構が確認されていて、平成元年には遺跡西側から大型建物の跡の一部が見つかっていました。今回の発掘調査では、この建物の規模が明らかになりました。建物は四方に庇がつく大がかりな構造で、規模は東西およそ24m、南北およそ10m、大津宮の内裏正殿とほぼ同じ大きさだといいます。日本書紀では吉野宮は656年に斉明天皇が造営、672年の壬申の乱で大海人皇子が挙兵した場所でもあり、その後、持統天皇は31回も行幸しました。その後も吉野離の名で続日本紀に記述があり、奈良時代には聖武天皇も訪れたとされています。今回の大型建物は正面から見た柱間が9つあるなど、平城宮第一次大極殿と同じ特徴があることから宮殿の中心施設と見られます。

 大型の建物跡が見つかったのは吉野川からおよそ20mの場所で、川の流れを意識して作られた可能性もあるといいます。過去の調査で見つかった土器や瓦から建物の時期を奈良時代前半と見る意見がある一方で、飛鳥時代までさかのぼるという見方もあり、今後、年代の特定が大きな課題になりそうです。長年、宮滝遺跡の発掘調査に携わってきた研究者は慎重な見方を示します。

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