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奈良のニュース
戦後80年 戦争の記憶をつなぐ 大学生が戦争体験談の絵本制作
2025.08.15 20:02
 戦後80年を迎え、当時の記憶の継承などが大きな課題なる中、大学生が戦争の実体験をもとに平和の尊さを伝える絵本づくりに取り組んでいます。



 帝塚山大学法学部の末吉洋文教授のゼミでは4年前から県内の戦争遺跡や、戦時中の痕跡をたどるフィールドワークを行っています。


 これまでに県内の空襲被害を可視化した「戦跡デジタルマップ」の作成や、県内外の子どもたちと平和について一緒に考える授業などを行ってきました。


 戦後80年を迎えた2025年、戦争の記憶を未来へ伝えようと8人のゼミ生が、戦争の実体験をもとにした絵本作りに取り組んでいます。絵本の主人公のモデルとなるのは、奈良市にあるホテル尾花の会長、中野重宏さん97歳です。


 学生たちはまず、中野さんの戦中・戦後の記憶について聞き取りを行いました。


 中野さんは1928年3月に大阪で生まれ、奈良市で育ちました。1931年、小学校入学前に満州事変が起こり、戦争の足音は次第に大きくなっていきました。


 中野さんの親戚のもとに中国への出征を命じる召集令状いわゆる「赤紙」が届くと、JR奈良駅に人々が集まり、「バンザイ」をして出征を見送ったといいます。


 ところが、その親戚はわずか1カ月ほどで、遺骨として奈良に戻ってきました。そして、1941年12月、太平洋戦争の始まりを告げるラジオ放送を学校に向かう途中で聞きました。


【中野重宏さん】

「アメリカ映画を見ているとね、豪壮な家、自動車が一家に一台ある。そんな豊かな国と日本が戦争をして勝てるはずがないと、戦争は絶対にないと思っていたんです」

 しばらくは日本が優勢という知らせが毎日のように流れましたが…

食べるものや着るものは配給制になり、生活はどんどん苦しくなっていきました。

 「(ごはんの)おかわりができない。ちょっとした土地を見つけて、何かを植えて食料の足しにしないと生きていけなかった」

 各家庭で、国が勧めたサツマイモを育てていましたが、味がなく、おいしくなかったといいます。


 1945年、17歳になり、勤労動員で愛知県にいた中野さんは大阪大空襲について父親などから生駒山の奥に見える空が真っ赤に染まっていたなどと、話を聞いたといいます。

「奈良でも新聞紙の燃えかすがわーっといっぱい降ってきたと」

 そして、奈良に戻った際、中野さんも大阪に向かうB29の姿を目撃しました。


 「B29が低く飛んでいてよく見えるんです。しばらくするとドカーンドカーンと1トン爆弾を落としていたから、地響きが奈良まで響いてきた」

 8月15日、ラジオで終戦の知らせを受け、3年9カ月にわたる太平洋戦争は終結を迎えましたが、戦後も物資不足などによる苦しい生活は続いたといいます。中野さんはこれまで戦時中の体験談を積極的に伝えてきました。


【中野重宏さん】

「戦争というのは絶対にやるべきではないと。それをどう皆さんに訴えるかということが、その当時を生きた者のひとつの使命かなと思っていますが、戦争というものを起こさないようにしようと思うと、どうしたらよいのかというのは本当に難しい問題」

 人々を苦しめた戦争。体験談を聞いた学生はー


【帝塚山大学4年・千葉朱音さん】

「配給制度の話を二度三度としていたので、中野さんにとってはそこが一番生活に大きな変化があったところだったんだと感じました。今の平和な状態であることがどれだけ奇跡的なことなのかを(絵本を)読む方々に感じてほしい」


 この日は物語の筋書きやイラストのイメージを中野さんと学生、イラストレーターで話し合いました。


【帝塚山大学法学部末吉洋文教授】

「一人一人がインフルエンサー(発信者)になって平和な社会をつくっていくことが大事だと思うので、自分にできることは何か、ゼミの学生からしたらそれは絵本づくりだと思うので、しっかりやってほしい」


【帝塚山大学3年・辻健太さん】

「小さい子どもから大人にかけて、どの世代に対しても分かりやすく戦争の不便さや恐ろしさが伝わるような絵本にしたい」


 絵本は2025年度中の完成を目指しており、完成後は、小中学校で学習教材として使用することなどが予定されています。経験談を形に残し、次世代への橋渡しとなる絵本づくり、当時のことを知る人が減り続け、国際情勢も大きく変化する今、平和について当事者意識をもって考え、伝え続けていく事が戦後を生きる私たちの宿題なのかもしれません。